
| 写経とは? |
| 写経は、印刷技術がなかった時代に僧侶達が、経典を書き写したのが始まりです。中央アジアや中国では、二世紀頃から写経があったといいます。日本でも飛鳥・白鳳時代から写経が行われており、病気平癒や冥福の祈願などの現世利益で、天平時代に入ると国家事業として行われるようになりました。 現代は、ストレス社会ともいえる中で、精神的に落ち着きたい、気持ちを切り替えたい、先祖供養、水子供養あるいは自分や家族の健康や家内安全などの願い事を成就をしたいときなどに写経をします。何も考えずにひたすら書き写す事によって、日常とは違う時間の流れに身を置き、一文字一文字丁寧に書き写す事によって、心の安らぎを得ることでしょう。写経は誰にでもできます。思い立ったら始め時、気軽に始めてみませんか? お経にも触れましょう。 お経はサンスクリット語でスートラの漢語訳です。元々は糸・紐という意味で、物差しに使う紐にもなり、簡潔な教訓・教理・金言などの文をも指します。経も縦糸・道筋という意味で、織物が真っ直ぐ正しく続いている事から真理を意味します。 お経はお釈迦様から教えを口伝により伝えられた弟子達が、確認をし合う集まりをしました。これを結集(けつじゅう)といいます。最初の結集から100年以上にわたり作り続けられ、さらにインド各地へ伝えられ、その渡来地でもお経が作られたので、お経の種類が多いのです。 中国へは紀元前後、西域の貿易路をたどって伝わりました。当時の中央アジアと西北インドに勢力を拡大していたクシャーナ王朝によって中国へ仏教が伝わり、王であるカニシカ王は仏教の庇護政策を打ち出しました。 中国には、中央アジアからの移民や商人の間で信じられ、当初は中国人には受け入られませんでした。やがて移民達が母国語を忘れるようになると、中国人の信者も出て、お経を漢訳する必要性が出てきました。そこでインドの僧侶を招いて「四十二章経」というお経を漢訳させたのが、最初の漢訳経典といわれています。 日本に仏教が伝わったのは、538年に朝鮮半島の百済から、膨大な経典と仏像が天皇へ献上されました。蘇我氏の勝利で593年に推古天皇が即位され、聖徳太子が摂政になり、四天王寺・法隆寺・広隆寺などを建立して寺院として貧しい人々の救済施設として利用しました。 741年、聖武天皇の時代。全国に国分寺や尼寺などの寺院が次々と建立され、聖徳太子が制定した「十七条憲法」第二条で「篤く三宝を敬え 三宝とは佛・法・僧なり…」とうたわれたことを実践するため、多くの仏教テキストが必要になり、経典を書写することが広まり、これが日本での写経の歴史といわれています。 ![]() 写経で一番多く用いられているのは、般若心経です。文字数も276文字で、約1時間でほどで書写できます。写経道場などで使われるポピュラーな経典です。 〔各宗派で写経される主な経典〕 般若心経 天台宗・真言宗・浄土宗・臨済宗・曹洞宗 法華経(特に観音経) 天台宗・日蓮宗 理 趣 経 真言宗(百字偈) 四 誓 偈 浄土宗・浄土真宗・時宗 一枚起請文 浄土宗 七仏通戒偈 曹洞宗・臨済宗 自分の宗派の経典を書写しなければならないという事ではありません。一般的な般若心経で良いですし、好きな経典を書写されても良いです。 |
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