お経のおおまかな意味について4話にわたってお話いたします。

お釈迦様の智恵

この世でこれだけは正しいってことありますか?

人殺しは、殺人だけど、戦争で多くの命を奪ったことは英雄になってしまう。

乞食に、お金を与えることが正しいことなのか?

乞食が怠けては働かないのが悪いのか?

何が正しくて?何が悪いのだろうか?

何を信じていけばいいのでしょうか?

物事には、それぞれの見方があります。

それをちょっと考えてみましょう。

お釈迦様の智恵って

お釈迦様の智恵って何でしょう?

そもそも、私たちが知っているのは「知恵」

お釈迦様の場合は「智恵」となる。どのように違うのでしょうか?

知恵と智恵

「ちえ」という言葉を「知恵」と表記したとき、この言葉には大きく2つの意味があるでしょう。

1つは、物事について考えたり、判断したりする頭の働き。

いわゆる知能と同義として用いる用法のことです。

「子どもが段々知恵を付けてきた」とか、「知恵者」とか、そういった用法ですね。

そしてもう1つは、アイデアといっても良いでしょう

「知恵が回る」とか「知恵を絞る」とか、よい考え、つまりはアイデアを指す使い方の事です。

どちらも考える「頭のはたらきが知恵」であり、この知恵を持つ者を指して「頭が良い」と世間で言われたりもしますね。

知恵があることを「頭が良い」と表現した場合、この「頭の良さ」とは、早い話が頭の回転を指しています。

これをしたらどうなるか、あれをしたらどうなるか、どの方法が最も利益を生むか。

良くも悪くも的確に計算をする頭の働きが知恵というわけだ。

次に智慧とは

智慧、仏教用語としての智慧は、計算をすることでも、頭の回転の良さを指すのでもありません。

智慧とは、その本質は何か?真実はどうなのか?を考える頭の働きです。

物事の本質・真実を例えるならば、

「幸せとは何だろう」

これを考えると夜も眠れない。いい学校・いい会社、いい家庭、

それが、私の幸せでしょうか?幸せの定義とは何でしょうか?

その本質を見抜いていこうとする頭のはたらきこそ「智慧」ではないでしょうか。

その事について、考えてみたいと思います。

簡単に要約すると

知恵は、損か?得か?という視点で物事を見つめる心であり

智慧は、真か?偽か?という本質を考える心であると考えますがいかがでしょう。

本質を見抜く智恵ですから、そのものをはたから見つめているだけでは、何もわからないのです。

私たちの行動は、目だけの作用ではなく、聞き、感じ、嗅ぎ、味わい、五蘊ともいいますが、様々な感覚器官でもってその事を見つめ取り入れ結論を出します。言い換えるなれば、頭だけでなく、全身で感じることであります

だから、修行するのです

身体と心で仏の実践して、自分自身が「ホトケとなる」努力をしていく。それが修行です。

写経することは、修行することと同じ

修行と連想すると、山にこもって、厳しい修行をして、つらい思いをすると思われる方がほとんどです。

修行とは何か?

私たちの心を整え、智恵を産み出すために修行をする。

それは、座禅であり、巡礼であり、写経であり、

自分自身をしっかりと見つめ、命の存在を確認することです。

その命は、生きているのではなく、生かされている命。

では、誰に生かされているのだろう?

自分がご飯をたべて、飲み物を飲んで生きている。

俺の命、俺の自由にすればいい。とこのように勝手に考える方も少なくありません。

しかし、臨終のときに、もっと生きたい。まだまだやりたいことがある。と願ってみても、自分の思い通りにならないのがこの命です。

そう、思う通りにならない事。どうすることも出来ない事。

それを、どうすれば克服できるのであろうか?どうすれば、乗り越えていけるのであろうか?

そんな智恵を考えてみませんか?

お写経とは、お経を移すこと

お経って何だろう?

葬儀や法事の時に、お坊さんが一生懸命お経を唱えている?

何のために唱えているのか?誰のために唱えているのか?

なんであんなわからな言葉を唱えているのだろうか?

死者ならば、理解できるのだろうか?きっと私がなくなってお経をあげてもらってもチンプンカンプンの落ちこぼれだろう。

そんな風に考えたことはありませんか?

ちょっと、お経意味合いについて考えてみましょう

般若心経について

 

各宗派のお経について

天台・真言・浄土・曹洞・臨済・浄土真宗・日蓮宗など各宗派のお経を聞きながら写経をしたいという方は

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